僕は今日、クリスマス礼拝に人々を教会にお招きするための映像を作成していました。
先日、その準備で今年はいつもと違ったことがあったので、
たまにはその出来事を日記のようにしたためていこうと思います。
クリスマス礼拝への準備
今年はコロナの影響もあり、教会の活動もだいぶ制限されてしまっています。
それでも対策を講じつつ、クリスマス礼拝に向けての準備をすることになりました。
どんなイベントを企画しようか。
どうやって人を教会にお誘いしようか。
そのために何を準備していこうか。
どう祈っていこうか。
今年も兄弟姉妹たちといつものように話し合いをしました。
ただ去年と違うことが一つ。
それは姉妹の方から率先して動こうとしていることでした。
去年まではだいだい牧師先生や青年部リーダーがあれこれ決めたことに対して、
兄弟姉妹たちが手伝いながら準備していました。
それが今年は
一人の姉妹が「伝道用に賛美している映像を作りたい」
という発言に端を発し、
「こういう風なイベントにしたい」などの様々な意見が飛び交うことになりました。
もちろん僕もリーダーとしての経験から、
過去にしてきたことの案を提案しましたし、
それは難しいのではないか。。という意見も言いました。
しかし姉妹たちのやる気というか勢いが凄くて、
彼女たちを中心とした「クリスマス準備委員会」なるものが結成され、
僕はそのサポートに回ることになりました。
サポートとしてできることは何か
前述したように今までは、こちらが企画したものに対して、
兄弟姉妹たちに“手伝ってもらう”という形がほとんどでしたが、
今回はほぼその真逆の状態です。
それは不思議な光景でもあると同時に、
とても喜ばしく嬉しいものでした。
だから僕にできることは、
彼女たちが主のためにしようとしていることを、
喜んで、まっすぐに取り組むことができるようにサポートすること。
(とは言っても僕にできることは大層なものではないですが。。)
またそのために気をつけようと思ったことは、
彼女たちの妨げにならないようにしたいとも思いました。
ずっとリーダーとしてやっていると、
「今まではこうしていたから」「こっちの方が効率がいいから」と
過去の経験を元に、変に自分の考えや思いに固執して、
手伝ってくれている人たちに対する配慮や謙遜さを忘れてしまい、
傷つけたり、やる気や働きを削いでしまうことがあるからです。
僕もそうしてしまったことがあるし、
されたこともあります。
そうなると結局一人ですることになりますし、
手伝ってくれていた人たちの祝福のチャンスを奪うことにもなりかねませんから。
祈りと願いを込めて
同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。
何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、
めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。
互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。
(フィリピの信徒への手紙 2章 2~5節)
愛する神様。
主を見上げて歩む兄弟姉妹に出会わせてくださり感謝します。
僕はただ支え、励ます者としてできますように助けてください。
そしてこの準備を主が喜んで受け取ってくださり、共にしてくださり
彼女たちの働きが主に尊く用いられますように祝福してください。