証し

料理と食事を通して流れる神様の愛

今回は、僕が教会で4年間、毎週続けていたプログラムの一つ
「世界のクッキング」という料理の話をしたいと思います。

どういう思いで始めたのか?
どんな恵みがあったのか?

僕もその時を思い出すように書き記していきます。

「世界のクッキング」って何?

教会では毎週、平日に一度集まって、
一緒に食事したり、聖書勉強したり、祈ったりしています。

昔はその聖書勉強の前に、
ゴスペルを歌ったり、ギターを学んだり、
教会に集まり、一緒に何かをする時間がありました。

初めて教会に来る人でも、気軽に参加できるように色々工夫しながら準備していました。

その中で僕は、神様から与えられた賜物である「料理」をもって、
一緒に料理を作り、一緒に料理を食べ、来た人が教会で楽しい時間を作れるようにとの願いを込めて始めました。

そしてせっかく一緒にするなら、普通の料理ばかりではなく、世界の料理を作ってみようという無謀なことをやってみました(笑)

それで付けたプログラム名が
「世界のクッキング」というわけです。

どんな料理を作ったの?

「世界のクッキング」は
2011年4月から本格的にスタートして、
2015年までの約4年間、毎週料理を作っていました。

どれくらいの料理を作っていたのかは、
ほとんど覚えていない上に写真もあまり残っていないため分かりませんが、

世界のクッキングが2周年を迎えた際の証しの中に、
こんな記録がありました。

今まで(2年間)の間に作った料理は、約85種類、30ヵ国

そこからプラス2年ともなると、結構な種類を作ったのではないでしょうか。

作った料理の写真(一部)

(近々写真をまとめてみようと思います)

どんな思いで作っていたの?

元々はプログラムとしてではなく
教会の先生が料理を作り、一緒に食事をするだけで、僕はただの料理が好きなお手伝いさんのポジションでした。

そこから紆余曲折があって、料理の担当に抜擢されたのが始まりです。

もちろん最初は悩みました。

それまでは誰かのサポートとしての立場だった僕が担当として、
「世界のクッキング」という新しいプログラムを全うしなければならないという責任と、予算と時間も限られている中で、世界の料理を毎週メニューを考えて作るのが大変だったからです。

おまけに最初は手伝ってくれる人は少なくて一人で作ることも多くて、心が落ち着かないこともありました。

正直やめたいと思ったこともありました。

でもそんな時に神様が祈りの中でこう語りかけてきてくれました。

過去のあなたは小さなものであったが/未来のあなたは非常に大きくなるであろう。
(ヨブ記 8章 7節)

投げ出さないで続けていこう。あなたは一人じゃない。
私がそばにいるから、私が助けるから。

それを聞いたときに、僕は過去の出来事を思い出していました。

それは僕が教会に来て間もない頃。
引きこもりで一人悩んでいた僕が、教会に誘われ、そこで兄弟とシチューを食べた思い出。

平日の集まり 今回は、主日礼拝に参加したら、もれなく平日の集まりに誘われる特典?がついてきた時のお話。 不思議な誘い方 平日、いつも...

食べたのはただのシチューで、
会話も何気ないものでした。だけど心が安らいでいました。

どうしてそう感じたのかは、その時は気づかなかったのですが、今ならはっきりと分かります。

あの時、あの食事の場に神様が共にいてくださったから。

そこにいた兄弟を通して、料理を通して、神様が僕に愛を注いでくださっていたから。

そしてこう考えました。

じゃあ今、その愛を知っている僕は、何のためにこの「世界のクッキング」をするのだろうか?

答えは簡単でした。

僕がその食事の中で受けていた神様の愛を、同じように食事を通して他の誰かと分かち合うこと。

僕はその神様の思いに気づき、悩んでいた自分を悔い改めてました。
それと同時に神様は本当にいつも僕のそばにいてくれて、守り導いてくださっていることを知り感謝しました。

たった一人でもいい。
昔の僕のように神様の愛に触れ、心が安らぐ人がいるならそれでいい。
そのためなら何があっても、たとえ一人でも、毎週続けよう。
そう思いながら、4年間ひたすらがむしゃらに作りました。

賜物は神様の恵みの中で光輝き

僕が世界のクッキングをするにあたって祈っていたことがあります。

・おいしくできますように
・安く作れますように
・手伝ってくれる人が与えられますように
・食べてくれる人が与えられますように

そして、
・ここに参加した人が食事を通して笑顔に、元気になって、後に続く聖書の学びや祈りにまで恵みが流れる管として、世界のクッキングが用いられますように。

始めは小さな集まりでしたが、4年間の中でいろんな人が参加してくれて、
最初は疲れた表情をしていた人が食事をして、帰る頃には笑顔になっているのを見るとすごく嬉しくなりましたし、そこに用いられていること、
祈りにいつもこたえてくださっている神様に感謝でいっぱいでした。

ここまで話しておいてなんですが、実のところ、僕はいうほど料理がうまいわけではありません。

基礎もできていないし、レシピに頼ることもあってかなり荒いです。

実際に僕より料理が上手な兄弟姉妹はいます。

だけど4年間も続けてこれたのは、一緒にいる兄弟姉妹の支えと、何よりもいつも共にしてくださった神様の恵みであることはいうまでもありません。

僕のようにただ料理が好きだという小さな才能でも、それを神様の前にもっていけば、それは賜物となって大きく光輝き、そうして作る料理には神様の愛がたくさん入っていて普通よりもおいしくなるからこそ、その料理を食べた人が笑顔になって、元気になって、心がホッと安らぐ恵みがあったのだと信じています。

各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。
神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。
(コリントの信徒への手紙二 9章 7節~8節)

今はもう名前も形も変わり、「世界のクッキング」は無いのですが、
これからも、
それぞれの兄弟姉妹が神様から与えられた思いを胸に何かをするとき、
そこから神様の慈しみ深い愛が流れ込んでいくのだと信じます。

ではまた~

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