主の導きで教会を訪れることになりましたが、そこではどんなことがあったのでしょうか。
想像と違う!?
まず、建物が教会っぽくありませんでした。普通の建物に十字架と看板が付けられただけって感じで、最初見たときは「ここはほんとに教会なのか?」と思いました。それこそ前述したように教会の前で挨拶されなければ、素通りしていたかもしれません。
中に入っても、想像と全然違いました。
礼拝堂といえばステンドグラスとパイプオルガンがあるイメージでしたが、
どちらもありませんでした。
さらには、ギターを弾きながら賛美していることも衝撃でした。
礼拝というと静かで厳かなイメージだったからです。
静かとは程遠い、熱い賛美でした。それもみんなで。
しかも、僕を伝道した人が隣に座ってみんなと同じように賛美していたのですが、その人がとても音痴だったのです。。
だけど僕はそこで「うわぁ、、」とはならずむしろ、
こんな音痴の人でも歌いたくなる賛美とは、一体何なんだろう?
そう思いました。
普通は音痴だと恥ずかしくて歌いたくない気がしますから。
少なくとも僕はそういうタイプです。。。
ともかくそんな衝撃の中で礼拝が始まり、
牧師先生による聖書のメッセージが始まりました。
初めて触れる聖書
その日のメッセージ箇所は確かマタイによる福音書だったと思います。
その中で特に覚えているのが以下の箇所です。
もし片方の手か足があなたをつまずかせるなら、それを切って捨ててしまいなさい。両手両足がそろったまま永遠の火に投げ込まれるよりは、片手片足になっても命にあずかる方がよい。
もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。両方の目がそろったまま火の地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても命にあずかる方がよい。」(マタイによる福音書18:8~9)
初めて触れる聖書にしてはとても難易度が高かったので、
よく覚えています。。。
切って、捨てて、えぐり出して、
普通なら「恐ろしいことを」言っていると思ったことでしょう。
普通ならね。
しかし主の恵みで、
何か行動するためには、切ったりえぐり出したり、それくらいの覚悟が必要なのかな。。。
という風に、かなり肯定的に受け取っていました。
(自分なりの解釈なので、正しいか正しくないかは置いておいて)
今でも、よくこの御言葉を受け入れられたなと思います。
何度も言いますが、一応これが初めて触れた聖書なのですが。。。
教会の人の温かさ
礼拝後、雑談する時間がありました。
当然僕の人となりを知るために、「どちらの大学に通られてますか?」
と聞かれたのですが、僕にはそんなものは無かったので、答えられませんでした。
とても嫌な記憶がよみがえりました。
ちゃんと学校に行ってなかった分、今まで周りの人から良く思われてなくて
「あいつはダメなやつだな」と言われたこともあったからです。
でも、教会の人たちは違いました。
そんな僕を温かく受け入れてくれたのです。
こんな僕でも居場所と呼べるものができるかもしれない、
ここでなら自分を変えることができるかもしれない。
そう思えました。
ただ唯一の神様
その後、兄弟から、「四つの法則」という小冊子を紹介されました。
以下内容です。
- 第一法則:神は、あなたを愛しておられ、あなたに素晴らしい人生を与えようとしておられます。
- 第二法則:人は罪を犯して、神から離れてしまったので、神の愛と計画とを知ることも、体験することもできないのです。
- 第三法則:イエス・キリストだけが、人の罪を解決するお方です。あなたもイエス・キリストによって、神の愛と計画を知り体験することができます。
- 第四法則:私たちは、イエス・キリストを罪からの救い主、主として受け入れる必要があります。その時、神の愛と計画とを知り、体験することができます。
この時の僕の反応は覚えていませんが、
恐らくは「???」だったのではないかと思います。
でも一つだけ納得できないことがあったことは覚えています。
それは、「イエス・キリストだけがただ唯一の神様」であること。
僕は罪や愛については何となく納得できていましたが、
八百万の神様が好きだったので、神様は一人しかいないというところに妙に反発していました。
なのに、結局イエス・キリストを神様として受け入れる祈りをしました。
反発はしても、受け入れを断る理由は思いつかなかったからです。
(これもまた恵みであることは後に知ることになります。)
それが教会だよ!
帰り際、とある兄弟と先生が話している場面に遭遇しました。
どうやら仕事の都合で礼拝に通うのが難しくなった兄弟を励まそうとしていたのでしょう。
神様はね!神様はね!
そこだけ聞き取れましたが、
えっ、めっちゃ神様って言ってる。怖い!
と思ってしまいました。
おまけにさっきの「ただ唯一の神様」というのが納得できなかったこともあり、もやもやした気持ちで家に帰りました。
元々人に対して怖がりだったので、不安になって、つい母親に連絡しました。
今日初めて教会ってところに行ったんだけど、
「神様が、神様が」って言ってて怖かったんだけど
どうしょう。大丈夫かな?
すると母は、
あぁ、それが教会だから、大丈夫よ
と一言。
というのも母は昔カトリックの教会に通っていたことがあり、
ある程度は教会のことを理解していたからです。
(天使にラブソングをが好きだったのもその影響と思われます)
そしてそれを聞いた僕は、
あ、そうか。それが教会なんだ!(素直)
と、あっさり受け入れることができました。
素直というか、単純というか、、、
こうしてまた教会に行ってみようかな?
と思えるようになりました。
これもまた主が導かれたことなのでしょう。
ただ、もう一度自分から教会に行くには勇気が必要で、
どうしたらいいのか悩み始めました。。。
それから数日、教会の兄弟から電話がありました。
これがとある兄弟との出会いと、今後の僕に影響を与える出来事に繋がるとは、思ってもみませんでした。
続く。