自分が何のために生まれたのか考えたことがあると思います。
僕も引きこもっている間はよく考えていました。
将来も希望もなく
ただ一日が淡々と過ぎていく日々。
でも今は知っています。
僕は愛されるために生まれてきたのだと。
11年前の日記から
つい先日、部屋の整理をしていたら、
僕が教会に通うようになって2ヶ月後から書き始めた日記が見つかりました。
2009年のなので、
ちょうど11年前の日記ですね。
懐かしさと気恥ずかしさが入り混じった不思議な気持ちで中身を読んでみました。
その日記は、毎日が感謝と喜びの中で綴られていました。
一緒にご飯を食べたこと。
誰かと遊びに行ったこと。
聖書の話で良かった感想。
などなど。
もちろん楽しかったことばかりではありません。
風邪で寝込んだときのことも、
落ち込んだときのことも書かれていましたが、
その全てにおいて神様への感謝と喜びでいっぱいの内容でした。
引きこもりでずっと一人だった分、
ほんの何気ないことでも、僕にとっては嬉しいことだったのでしょう。
事細かに書かれていたので💦
その中で誕生日の話が印象に残りました。
愛されていること知ったから
その日は僕が教会に通うようになって4ヶ月後のことでした。
教会では、その週に誕生日を迎える人を礼拝の後にお祝いしていました。
例にもれず、僕も祝ってもらうことになりました。
手作りの誕生日ケーキと、
周りには教会の兄弟姉妹たちに囲まれて。
「あなたには昔から」という祝福の賛美も歌ってくれました。
牧師さんから「一言感想をお願いします。」と言われ戸惑いましたが、
その時、心に浮かんだ想いをありのまま話しました。
「僕は教会に導かれて、ちょうど4ヶ月になるんですけど、
この教会に来る前は、家からほとんど出ない引きこもりで、
自分のことが大嫌いで、何であの時こうしなかったんだろう。これからどうすればいいのだろうと後悔と不安でいっぱいでした。
でもこの教会に導かれて、今は毎日が楽しくて、
自分がどれだけ神様に愛されているか、
自分がどれほど恵まれていたかを知りました。
感謝すること。祈ることの大切さを知りました。
今では神様のことを心から愛せるようになったし、
自分のことも家族のことも愛せるようになったし、
あとここにいる牧師さんや兄弟姉妹たちのことも愛してますし、そんなみんなから誕生日を祝ってもらって本当に嬉しいです。
それでこれからは神様から与えられた夢を胸に抱いて、
神様が光で照らしてくれた道を、神様がいつもそばで励まし祝福してくださると信じ、希望をもって歩んでいきたいと思います。」
日記に書いてあった通りであるなら、
僕はこう話したようです。
全然一言でまとまってないですし、
ほんとに引きこもりで、人が苦手だった人間が話したのかと
自分でも思ってしまいますが、
それほどまでに僕の心は感謝と喜びに満たされていました。
あなたは愛されるために生まれてきた人
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
(ヨハネによる福音書 3章 16節)
神様は僕たちを愛しておられます。
そして何の取柄もないダメな人間だと思っていた僕に、
神様はこうも言われました。
わたしの目にはあなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。
(イザヤ書43章4節)
生きているだけで、
僕は神様に愛されている存在なのだと知りました。
「あなたを愛している」
全てを包む、優しくて温かい言葉でした。
今の僕はその神様の愛によって生きています。
愛されていることを知ったから、僕は生きていけます。
愛されたから、僕も誰かを愛することができるようになりました。
だから僕も伝えたいのです。
これを読んでいるあなたに、
「あなたは愛されるために生まれてきた」
この世でたった一人の大切な存在なのです。と