証し

新しい人生の始まり

誰でも人生のターニングポイントがあると思います。

今回は様々な出来事を経て、僕にとってその一つである
「僕はクリスチャンになります!」とみんなに宣言する
祝福と喜びに満ちた受洗式を迎えることになるまでの話です。

受洗式って何ですか?

僕が教会に通いだして、
順調に神様との関係を築いていく中で「受洗式」というものがあることを知りました。

受洗式」とは、
神様と兄弟姉妹の前で、自分は神様を信じて歩んでいくと公に宣言することです。

受洗する本人は、
ここであらためて自分がイエス・キリストの十字架の恵みによって救われたこと、
これからその神様と共に、与えられた人生を歩んでいくのだと確信します。

それを見守る兄弟姉妹たちは、
ここに一人の尊い人が、神様の元に帰ってきた喜びを涙と共に味わいます。
神様が成し遂げた奇跡を見ることができます。

人によってはかつての自分の姿を思い出し、
神様に思いを馳せることもあるでしょう。

受洗式に向けて

2009年12月
この時の僕はまだ、受洗式があることを知ったばかりだったので、
とりあえず受洗式というものに初めて参加してみることにしました。

教会が受洗式に向けて準備をしている時、
僕は少し悩んでいました。

そこで受洗を迎える少し仲良くなっていた兄弟に質問してみました。

「僕も受洗をした方がいいのかな?」

するとその兄弟は

「その人のタイミングもあると思うから、急いでしなくてもいいと思うよ!」

そう言われて僕は、そのタイミングが来るまで、
神様との関係をもっと深めていきたいなと思うようになりました。

初めての受洗式

2009年12月27日
受洗式当日。

最初は衝撃的でした💦

受洗式の形式は教会で若干違いがあると思いますが、
僕が通っている教会では、大きなバケツ?に水を張って、
そこに一人ずつ入って、牧師さんに祈られながら、
顔を水に潜らせられるものでした。

「????」

内心ではこんな感じでしたね。

わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」
マルコによる福音書 1章 8節

聖書にはこう書いてあるのですが、
僕の想像以上に大胆でした。

その後は、受洗した人が証しをする時間がありました。

みんなが神様との話をする姿は、
とても輝いて見えました。

そして受洗で悩んでいた僕と話してくれた兄弟の証し。

その兄弟はちょうどこの日、
仕事が忙しくて受洗式を迎えられるか分からない状況でしたが、
多くの兄弟姉妹の祈りの支えもあって無事にこの場にいました。

また証しの中で、僕の心に一番印象に残った言葉がありました。

「分からなくても聞こうとすることが大事」

御言葉を理解することは難しいし、神様のことが分からないこともあります。

だけど神様もこう言われました。

実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。
ローマの信徒への手紙 10章 17節

当時の僕にとっては励ましの言葉であり、
だからこそ、もっと聖書を読んで神様の言葉を聞きたいと思いました。

初めて見た受洗式は最初こそ衝撃的なものでしたが、
その時間は、僕が想像していたよりも温かで喜びと感動に満ちたものでした。

神様と共に歩む人生の始まり

そして、
2010年4月18日

「五つのパンと二匹の魚」
「初めての受洗式」
「断食祈り会」

様々な出来事を経て、
神様の愛を知った僕はこの日受洗式を迎えることになりました。

ここまで導いてくださった神様にありがとうの気持ちでいっぱいで、
ただただ嬉しくて、涙が溢れていました。

たくさんの祝福と喜びで満ちた時間でした。

だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。
古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。
Ⅱコリントの信徒への手紙 5章 17節

そしてこれは僕の新たな人生の始まりでもありました。

最後に、僕が受洗式を迎えるにあたって、
神様から受けた愛をもっとも表す、一番好きで、
忘れてはならないと心に刻んでいる御言葉を添えておきます。

わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。
主はお前の罪をことごとく赦し/病をすべて癒し
命を墓から贖い出してくださる。慈しみと憐れみの冠を授け
長らえる限り良いものに満ち足らせ/鷲のような若さを新たにしてくださる。
詩編 103編 2~5節

ではまた~

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