証し

五つのパンと二匹の魚

主から与えられた賜物「料理」を通して、いよいよ僕が神様の恵みを体験するお話です。

賜物=プレゼント

教会に通うようになってしばらく経ったある日、
一品持ち寄りの企画がありました。

僕は引きこもりの間、
共働きだった両親に代わって晩御飯を作っていたこともあって、
一人暮らししてからも、自炊してました。

今回の企画を聞いた時に、
いつも優しくしてくれる教会の人たちに何か作ってあげたいなと思い、
一品作ることにしました。

せっかくだから豪華にしようと思い、
「豆腐ハンバーグ入りお好み焼き」を作りました。

オリジナル料理だと思うのですが、
ハンバーグとお好み焼きの間にチーズも挟んでおり、
贅沢に、かつ美味しく仕上がったと思います。←自画自賛(笑)
(写真は紛失したので、いつか作ったら載せるかも)

教会の人たちは大変喜んで食べてくださり、
僕自身、それがとても嬉しかったです。

食べながら、とある姉妹から

「それ(料理)は神様がくれた賜物だよ。」

と言われましたが、
やはりよく理解できませんでした。

料理ができたとしても、
自分はまだ、駄目な人間だと思っていましたし。

それでも誰かのために何かできることが嬉しかったので、
たびたび料理をしたり、手伝いをさせてもらうことになりました。

ほんのわずかなものだけど

そんなある日の土曜。

賛美チームが礼拝堂で主日に向けて練習していました。

しかもその日は他の兄弟姉妹も忙しくしており、
みんな晩御飯を食べていませんでした。

僕にできることは無いだろうか?
晩御飯を作ってあげたら喜ぶかな?

そう考えながら、
手に持っていた500円玉を見つめていました。

でもこれで、
どれだけの量が作れるだろうか?

これしか無いけど、
みんなが満足する料理を作れるだろうか?

教会のキッチンで一人悩んでいると、

「何か作るんですか?」

後ろから教会の執事さんに声をかけられました。

「作るなら、これを使ってください」

そう言って、僕に500円玉を渡しました。

「ありがとうございます!!
(お金が増えたぞ!?)」

これなら何とかなるかもしれない。

そのまま近所のスーパーに行って食材を探していると、
ちょうどいろんな野菜が安く売っていました。

「なんか沢山買えそう!!」

食材を鑑みて、僕はシチューを作ることにしました。

そうして出来上がったシチューは、
10人以上が食べ、おかわりもできるぐらいたくさん作ることができました。

みんな美味しそうに食べてくれました。

その笑顔を見ながら僕は、ある聖書の話を思い出していました。

4つの福音書に書かれている、
少年が持っていた五つのパンと二匹の魚をもって、
イエス様が5000人を食べさせた話を。

少年が持っていたのはわずかなものでした。

でもイエス様はそのわずかな捧げものを用いてくださり、
5000人を食べさせるほどの奇跡を起こされました。

この話は、にわかには信じられない話です。

だけど、この時の僕には信じることができました。

何故なら、

「みんなのためにできることをしたい」
「これしか持ってないけど」

そんな思いで、僕が持っているわずかなものを捧げようとした時、
主がそれを受け取り、用いてくださったから、
こんなにもたくさんの量を、みんなが満足できる料理を作ることができたのだと思えたからです。

イエス様の起こした奇跡に比べたら、全然大した規模ではありません。

でも僕にとっては、
イエス様の御言葉の恵みを体験するのに十分な奇跡でした。

神様に出会えた喜び

それからは今まで以上に料理をする機会が増えました。

主に用いられる喜びを、恵みを知ったからだと思います。

そんなある日、
ふと、教会に来てからの自分を振り返る時間がありました。

そこで僕は「料理」を通して、
たくさんの神様の恵みがあったことに気づいたのです。

料理を作っていると人が集まってきて、いろんな出会いがあったこと。

一緒に料理、または食事をすることで仲良くなるきっかけになったこと。

僕の作った料理をおいしいと言ってくれたことや、
料理の奉仕で頼られるようになったことで、自分に自信が持てるようになったこと。

誰かのために何かすることの喜びや楽しさを知ったこと。

その過程で性格が明るくなっていったこと。

そして僕は、ある言葉を思い出しました。

「それ(料理)は神様がくれた賜物だよ。」

「神様は○○くんが気づかなくても、ずっとそばにいてくれてたんですよ。」

僕は10年間の引きこもりが全て無駄な時間だったと思っていました。

だけどその時からしていた「料理」を通して、
たくさんの喜びを体験していました。

その「料理」は神様からの賜物、つまりプレゼント。

10年間、僕が気づかなくても、
神様は傍にいてくださって、「料理」という素敵な賜物を与えてくれて、
その変わらない愛でずっと見守ってくれていたのだと知りました。

確かにかなりの時間を無駄にしてきたことは変わりません。

ですが、

神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者のためには、
万事が共に働いて益となるということを、私たちは知っています。
(ローマの信徒への手紙 8章 28節)

過去の傷も、苦痛も、悲しみも、
決して消え去るものではないけれど、

僕が神様のご計画によって導かれ、イエス様に出会うことで、
全てを益としてくださいました。

過去の傷や悲しみがあったからこそイエス様に出会うことができました。
そしてイエス様に出会った時、傷も悲しみも癒やしてくださいました。

神様、ありがとう

僕の口から、自然にその言葉が溢れてきました。

こうして僕は、
心からイエス・キリストを受け入れて歩み始めることになりました。

続く。

POSTED COMMENT

  1. narumi0924 より:

    神様の計画はほんの少しの誤差もなく、正確に動いて下さってるんだね‼️ハレルヤ😄👍

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